仕組みを変えたら出来た!「子供が出来ない」という事を楽しみながら、仕組み作りの達人を目指しませんか?
「お片付けをしなさい!」と子供達を怒る私はクソコーチなのか問題
病院でリハビリの仕事をしています。リハビリの仕事は患者さんに動作の指導を行う事が多いです。患者さんにとって我々はコーチのような存在です。
例えば「洋服を着る」という動作では、
①ボタンのある洋服を着る
②ボタンのない洋服を着る
どちらを選択しても「洋服を着る」という動作には変わりありませんが、①のボタンのある洋服を着る方が難しい動作になります。同じ「洋服を着る」という動作でも難易度があるのです。患者さんによって、どちらが適切か判断するのがコーチの役割です。
ボタン付きの洋服を着る事が潜在能力的に厳しい患者さんに、いくら練習をしても出来るようにはなりません。逆に、能力があるのに練習をしなければ、その患者さんはいつまで経ってもボタンのある洋服を着れるようになりません。
つまり、患者さんの能力の見極めを誤ると我々は「クソコーチ」になってしまうのです。プロとして働いている以上、クソコーチには絶対になってはいけません。
ところで、
お片付けをしない子供達に「お片付けをしなさい!」とよく怒ります。
①フタのある箱に片付ける
②フタのない箱に片付ける
同じ「片付ける」という動作でも①のフタのある箱に片付ける方が難易度の高い動作になります。同じ「片付ける」という動作ですが、子供達にとって①と②どちらの方が適切な動作でしょうか。
もし、①のフタのある箱に片付ける事が娘(6歳)にとって適切でも、息子(3歳)にとって難易度が高い動作であった場合、「お片付けをしなさい!」と子供達に怒る私は、息子にとって「クソコーチ」になってしまうのです。
同じ動作であっても、相手によって適切な動作であるのか見極めなければいけません。
まだ息子には出来ない?それ、本当に出来ないの?
息子は家の玄関で靴を揃える事が出来ませんが、保育園ではきちんと自分の靴箱に靴をしまう事が出来ているそうです。保育園では出来るけど家では出来ない...
保育園では子供達一人一人に専用のキャラクター(果物とか動物とか)が割り当てられていて、自分の収納場所にはキャラクターのシールが貼ってあります。そこで、保育園と同じように家でも靴を置く場所にキャラクターのシールを貼ってみました。
すると、
二人で競い合うように、自分のキャラクターのシールの場所にちゃんと靴を揃えて置けるようになりました。
DIYで余った木にキャラクターのシールを貼っただけです。動作の難易度をちょっと下げた事で、息子は出来なかった「玄関で靴を揃える」という動作が出来るようになったのです。素晴らしい!
出来ないのは子供の責任か
姉弟の子育てをしていると、子供達をまとめて怒る事が多くなりがちです。年上だからと言って娘だけを怒ってしまうと、「私ばっかり怒られて!」と 娘に嫌な思いをさせてしまうからです。でも逆に、難易度の高い動作を息子に強いる事は「弟なんだから我慢しろ!」と言っているのと同じ事になってしまいます。
子供達に嫌な思いをさせない為には、動作の仕組みを年下の息子に合わせるか、姉弟で動作の仕組みを変えてあげる必要があります。「出来る」「出来ない」だけを見て子供達を怒る事は、親として情けない事ですし、子供達にとっても不幸な事です。
ただ怒るのではなく、子供達にとって適切な動作であるのかを見極めなければいけない。
「何で出来ないのか」「何が難しいのか」「どうすれば出来るようになるのか」と、色々と仮説と検証を繰り返しながら子供と接していると、子供の動作を観察する事が楽しくなってきます。うまくいったときは「よっしゃー!」、ダメな時は「そうきたかー。」みたいな。
子供が出来ないという事は、実は親にも責任があるのかもしれません。親が適切な動作の仕組みを子供に提供できていないから、子供が出来ないのかもしれない。
子供を怒るだけでなく、親も考えなければいけませんね。子育てを楽しみながら、 仕組み作りの達人を目指したいものです。