30年以上も続く後悔の言葉。放った言葉は二度と返ってこない。
言葉は二度と返ってこない
私が小学校3年生の時、同じクラスの女の子の弟が転んで泣いているのを見かけました。その子は「アンパンマン…」とアニメのキャラクターを何度も口にしながら、痛みに耐えているように見えました。次の日、その女の子に「お前の弟、昨日転んでアンパンマンとか言ってたよ。」と言ったところ、その女の子は「ひどい!ひどすぎるよ!!」と大号泣し、それから一度も口を聞いてくれなくなってしまいました。私はなぜ彼女がこんなに怒っているのか分からず不思議に思いましたが、だいぶ日にちが経った後に、彼女の弟には障害(詳細は分かりません)がある事を知りました。「アンパンマン...」という言葉は、辛い時に頑張れる合言葉か何かだったのかも知れないと気付いた時、何とも胸が締め付けられるような気持になりました...取り返しのつかない事を言ってしまった。あれから30年以上経つ今も、私はあの一言を心から後悔しています。
受け入れている誰かがいる事に気付いていないという事
私たちは普段言葉を選びながら生活しています。本音をぶつけ合って友情が芽生えるなんて「学園ドラマ」の中だけのファンタジーです。本音をぶつけ合って物事が解決したように見えるのは錯覚で、多くの場合は誰かが我慢したり、あきらめたりする事で事態が収拾しているのです。だから、本音をぶつける事で「友情が芽生える」「分かり合える」と本気で言っている人を見ると、あなたの発言を受け入れてくれている誰かがいる事に気付いていない残念な人に思えて仕方がないのです。
誰かに〇〇を言われて傷ついたという経験は誰しもあるのではないでしょうか。でも、往々にして言った方は気付いていないのです。何故ならそれは、言われた方が心の痛みをそっと飲み込んでいるから。
言葉の重みをかみしめながら。
同じような毎日が続いていると、それが特別な事である事に気付かなくなってしまいます。暑い日と寒い日があるから「今日は暑い」「今日は寒い」と感じるように、毎日が幸せだと幸せである事が当たり前になってしまうのです。
言葉は発して終わりでは無く、受け取る相手がいる事を忘れてはいけない。
悪気の無い言葉でも、取り返しのつかない傷を相手に与える事があります。30年以上前に放った私の言葉が二度と返ってこないのと同様に、今この瞬間に放っている言葉も、二度と返ってこないのです。言葉の重みをかみしめながら、今日も生きていきます。