慢心
作業療法士は患者さんの体に触れる事が法律で許されている数少ない職業です。身心に障害を抱える患者さんの機能回復を図る為に患者さんに触れます。この「触れる」という言葉が実は深いのです。
・子供に触れる
・家族に触れる
・女性に触れる
この「触れる」という言葉を「触る」に置き換えるとだいぶ印象が変わってきます。
・子供に触る
・家族に触る
・女性に触る
女性に触るってねぇ...急にアレな感じになってしまいました。
物理的に触れなくても「触れる」という言葉を使う事があります。
・琴線に触れる
良いものや、素晴らしいものに触れて感銘を受ける事です。心に響く所作は物理的に相手に触れていなくても「触れる」と言う言葉を使います。琴線に触るとは言いませんよね。
「触れる」と「触る」の違いは何か?
個人的にはそこに配慮があるかどうかの違いではないかと考えています。
「辛く厳しいリハビリに耐えて」なんてよく聞きます。リハビリは「辛い」「厳しい」など、ネガティブな印象が強いです。信頼のおけない人間に「辛い事」「厳しい事」をされるのは嫌ですよね。信頼無くして治療をする事は出来ないのです。極論、信頼出来ない医者に手術を頼みたくないのと一緒です。
信頼には配慮が伴います。相手への配慮無しに信頼関係は成立しません。患者さんに触れるという事は患者さんに配慮するという事。辛く厳しいリハビリには配慮が必要なのです。
昨日、自分の患者さんが治療中に急変しました。引き金になったのは「痛み」です。迷走神経反射と言って、痛みが引き金になって急激に血圧が下がったり、意識を失ったりする事が稀にあります。
自問自答します。
自分は患者さんに「触れて」いたのか?
痛いと言う事がいつのまにか当たり前になっていて、患者さんに対する配慮が足りなかったのではないか。先生などと呼ばれて慢心していたのではないか。
答えは無いけど、考え続けないといけない。
当たり前の事だけど忘れてはいけない。
勘違いするな。
いつも謙虚であれ。
いつも物事の本質を教えてくれるのは患者さんです。